平成28年1月9日 語る会 議事録 名古屋東生涯学習センター
参加者5名(うち女性1名)
自己紹介
S:統合失調症の薬を飲んでいるが、最近主治医と相談して減薬している。1回9ミリから6ミリにした。仕事は飲食店でキッチンのアルバイトを始めた。減薬のおかげかやる気がわいている。
K:体調が良くて仕事は週5日でフルタイム。事務で6年目で今後も続けていきたい。いろな仕事ができるようになりたい。効率よく働けるように「ルーティン表」というものを他の社員が作ってくれた。やるべきことが一覧表になっているのでチェックを打ちながら仕事をしている。一人暮らしは3年目だがお金がかかりすぎるので卒業しようかと思っている。
B:若いときは障害と分からず苦労した。仕事をしながら一人暮らしを始めて2か月ほどでメンタル不調になり、心療内科を受診した。そのときはお金がなくてカツカツの生活でいっぱいいっぱいでキツかった。孤独よりも経済的な不安があり、ポスティングのアルバイトを副業でやって1万数千円稼いて家計の足しにしていた。
3年前の11月に雇もれびの会をネットで見つけて初参加した。子供の時から集団に馴染めず孤立していた。ひきこもりがちだった。フリーター時代から転職を繰り返していた。
障害は8年前に自閉症スペクトラムと診断された。障害と分かり却ってほっとした。二次障害で社会不安障害や対人恐怖がある。うつ病も併発していたので精神福祉手帳を取得した。
その後、障害者職業センターを利用して、クリーニング店や運送会社で数年働いた。障害をオープンにした。親も障害を理解してくれたので、一人暮らしをやめて親元に戻った。今の会社は初めて3年勤めることができた会社だ。障害年金は却下された。親が高齢で賃金も安い。基幹支援相談センターで将来設計を相談している。
H:先月の某精神科クリニックのクリスマス会で雇もれびの会を知った。もともと看護師で今は大学で先生をしている。精神看護を教えています。私も2月から一人暮らしをするので大変そうだと思っている。浪費家だが一生懸命節約したい。一人暮らしは初期費用がかかる。皆さんと同じように20歳代で3か所職場を転々した。一応職場で社会適応している。
幼少期に「言いたいことが言えない」という保育園のコメントをもらっていたことに最近気づいた。本音が言えない。表面上、口が回るが本当に苦しいことをサラッと言えないとか、できないことを認められないという悩みもある。
障碍者の「リカバリー」のイベントで講演を聞いて感動した。リカバリーを推進しているクリニックで研修を受けていた。ごはんの盛り付けをしたり、化粧の勉強会をメンバーとともに行った。自助会はたくさんできていることは知っていたが、実態は知らない。リカバリーを自分の専門分野にしているのに、表面上のことしか知らないではリカバリーを語れない。今日は当事者の回復過程について調査勉強のつもりで来た。
M:今月で新しい職場で半年経った。前の職場は2年ちょっとだ。会社は同じだが、職場が変わって環境が良くなった。小さな職場で村社会だったのが、2000名働く大きな職場で都会的な働き方ができるようになった。都会育ちの自分に合って居心地がいい。女性が多くて気を遣うことが職場での悩みの一つだ。
内容
今日は、初めて参加するHさんに合わせて雇もれびの会での最近2年の振り返りをしたいと思う。近況に加えていつも語っていることや前に話したことも積極的に話してほしい。
B:前の職場はジョブコーチを入れても職場で喧嘩してしまい手を出しそうになり社員に止められた。その後、転職すると転職祝い金をハローワークからいただけたので余裕ができた。それまではパソコンも買えずインターネットもネットカフェでやるぐらいだった。10万円ぐらいの給料で4万円の家賃を払っていたら生活が厳しい。
M:20-30歳代は働けなかった。40歳になってやっと仕事できるようになった。
B:医者は早く治してはくれない。病名もなかなか付けてくれない。「つけようと思えばつけられるんだけど・・・」と口を濁す。自分で本を読んで病名を考えると「その手の本は読まない方がいい」と言われた。デパスという安定剤をもらうだけだった。
M:30歳代までは月に1万数千円のお小遣いを親にもらって家で煙草を吸っていただけだった。40歳で初めて作業所へ入って、その後一般就労できた。大学は土木を勉強したが、卒業を前にして就職活動や将来のことを考えすぎて発症した。卒業はしたが土木関係の仕事には就けなかった。現場はガラが悪そうに思えた。掃除の仕事を30歳代後半に医者が勧めてくれて、清掃職に就いた。一生の仕事にしたい。学生時代は一人暮らしで敵が多かった。ライバルをはねのけて自分のことしか考えないタイプが多く殺伐としていた。
B:私の高校は3無主義で無気力無感動無関心の学校だった。今はポジティブでいたい。この自助会で他の発達障害の仲間が職場で虐待されてバカ扱いされている実態を知った。自分なら3か月で辞めていると思う。発達障害はピンからキリまでいる。生死をさまよう病気から自然に治る風邪まであるのと似ている。最近5年ぐらい発達障害ブームでちょっと変わっているというぐらいで「障害」と名乗っているのを見ると違和感を覚える。一般に発達障害者はコミュニケーションが苦手で仕事するのも「やっと」で結婚しているのは少数派だと思う。発達障害の分類では
積極型:うっとうしいぐらい絡んでくるタイプ。
受動型:本心は仲間がほしいがシャイで引っ込み思案のタイプ。
孤立型:一人でいるのが当たり前で関わらないで放っておいてほしいタイプ。
がある。私は受動型で一人は嫌だ。孤立を恐れない孤立型がうらやましい。
20代の頃は自分の性格を変えたいと思い職業を選んでいた。ホテルや広告代理店に入ってはすぐに退職していた。自分がアルペルガーであると分かっていなかった。明るい性格が良くて暗いと思われたくなかった。今ではリクルートの渡瀬謙さんの本を読んで「そのままでいい」と思えるようになった。渡瀬さんから手紙の返事で「自分の本が役に立ってうれしい」と言われうれしかった。
職場での飲み会も昔は断っていたが、今は誘われれば行くようにしている。一人よりみんなと一緒がいいと実感している。自分は人間嫌いじゃないと再確認した。先日の雇もれびでのカラオケでも楽しかった。分かってくれる人がいるというのが心強い。職場でも身体障碍者の同期や統合失調症の後輩がいてうまくやっている。統合失調症の同僚は5年ぐらい家から出られないぐらいの引きこもりだったが、今は働けている。
S:働けるようになった秘訣はあるか?
B:自分の考え方を変えることができたのが良かった。暗いことを悪く思わなくなった。雇もれびの会などの自助会に参加したのもよかった。
M:職場で働かせてもらってありがたいという気持ちになれたのが良かった。仕事を変えても疲れるのは同じ。人間関係もどこでも同じ。
K:他の職場がうらやましく思えることはないか?
B:今なら前の職場でもうまくやっていけそうな気がする。前の運送業では仕分け、掃除、ダンボールの整理、伝票の整理などいろいろやった。ただ、上司に挨拶しても無視されたのがつらかった。
M:上司には無視されても必ず挨拶する。
S:ここまでの感想はどうか?
H:よくしゃべるなぁという印象だ。女子会に似ている。私は古いタイプの精神科の病棟で働いているので数十年ずっと入院という患者もざらである。もっと暗くて黙っている患者ばかりだ。みんな笑わない人ばかり。
M:大病院の院長は大統領で、看護師は警察官のようだ。患者でも労働組合のような組織があって、その長だけが院長に「直訴」できる。
B:精神科は怖いというイメージがある。入ったらおしまい。
S:入院するとお菓子が貨幣のようになった。
M:煙草が貨幣で麻雀で煙草が動いた。
H:閉鎖病棟での患者の話を聞くなという医療の現場に憤りを感じた。ドクターと喧嘩ばかりしていた。リカバリーに興味を持った。最近、フットサルやバレーボールで精神障害者が活躍している様子をテレビで流せるようになった。
K:精神疾患と性格は関係あるか?
精神疾患は性格とはあまり関係がない。大手企業でうつ病にかかる人も多い。
S:大企業はうつ病になっても休職できる。派遣など非正規で仕事を失うことになる。
H:統合失調症は引きこもっている学生がなることが多い。卒業を前に過度のストレスで発症する。
S:発達障害や精神疾患にかかっていても出来る職業にはどんなものがあるか?
M:倉庫、運送業、清掃、ホームセンター、飲食店、バックヤードならなんでも。芸術家。
B:こつこつやる仕事、皿洗い、リームリーダーは難しいが職人的なことはできる。
K:事務職も内勤ならできる。ルーディン表として時間割的なものがあると助かる。仕事を明確に与えられた方がいい。
S:精神疾患を治すには?
M:40歳ぐらいになればほとんどの人が治ると聞いた。もっと早く治りたかった。
S:職場で配慮してほしいことは?
M:一度に聞けないことを理解してほしい。臨機応変が難しい。主語述語をちゃんと言ってほしい。質問した時に怒らないでほしい。何で一度覚えられなんだ!!と怒る上司は困る。疲れやすい。一人作業ならいいが、人間関係に気を使って疲れる。
B:キチガイと暴れるという偏見がある。
S:正規雇用じゃないと苦労する。
H:職場に行けなくなり退職せざるを得なくなる。
S:休職できるのは恵まれている。学校を卒業して最初の会社が大きくてキャリア積めればいいが、そうでないと非常に苦労する。
最後に
いろんな話が聞けてよかった。
繰り返しになったが話せてよかった。
頑張っているのが分かった。
良かった。
知人を誘い合って参加してほしい。
参加者
K、S、M、Y、B、E、H、I、G
流れ
1)会の説明
自助会です。ここで話したことはブログにアップします。
2)アンケート
近況、苦しかったとき、これから就労する人へ、など5項目。
3)近況報告
4)語る会(前半)
5)休憩
ホワイトボードへ落書きタイム
6)語る会(後半)
7)寄せ書き
8)まとめの一言ずつ
9)写真撮影
10)次回予告、解散
1)今回は、ゲストに新聞記者さんをお招きしてます。勝手に記事にすることはありませんので、いつも通り話してください。
2)別記
3)
S:週20時間のアルバイトをしている。塾と飲食業をかけもちしている。雇もれびの会を7年前に立ち上げて、今日は司会と書記をします。
B:対人トラブルがあって退職した同僚の女性がいた。それで自責してしまい、勤務を週2回に減らしてもらった。来月から週5に戻す。配慮してもらっているので給料は安いが期待に応えたい。辛い目にあった仲間がほしい。
E:雇もれびの会は初参加。自助会も2,3回目。障害認定されていないのでふつうに働いている。大手メーカーの特定派遣。残業もある。小中学校・高校・社会人といじめられてきた。鬱になっていた一昨年にBさんとSNSで知り合って今日参加した。鬱が酷いときは生きててもしょうがないと思っていた。不眠のクスリを飲んでいたが、回復してそれも止めるつもりだ。通院はしてカウンセリングを受けている。
H:週3日働いている。双極性障害だがクローズで働いている。以前A型事業所で働いているときは気持ちを分かってくれる人がいたが、クローズで働くと言えないし分かってくれる人がほしくて自助会に参加した。
K:3級の手帳をもっている。事務フルタイムで働いている。5年以上続いているのでもうしばらくは続けたい。
Y:19才で発症した。東京の大学の生活に付いていけず退学。実家の名古屋に戻ってきた。就労移行事業所で訓練して就職したが、3ヶ月で退職。なにもできない時期を経てNPOの就労移行事業所に通い、近々A型事業所へ変わる予定。
I:双極性障害。ADHD。カフェでピアスタッフをしていたが、6年勤めて退職。現在、求職中。
M:病院で清掃の仕事を継続中。雇もれびは3年目。
4)
Y:勉強しすぎないようにしたい。スキルを生かせる仕事をもらえなかった。今はA型事業所を見学して通いたいと思っている。Webの関連の仕事やプログラミングの仕事がしたい。チャンスがない。やろうとしても経済的な問題があってソフトウェアも買えない。今のところデータ入力の仕事でいい。スキル的にはさがるけど4-6時間にしておきたい。
コワーキングスペースに通って仕事仲間を作りたい。が、考えているだけで続かない。英語にも興味があって英会話もやってみたい。実際には、融通のきく職場がなくてスキルを理解してくれない。大学は経済を学んだ。趣味が勉強というところだ。やりすぎないないようにしたい。今のプログラミングはC#、JAVAスクリプトが主流だ。開発環境を作れないし、製品の責任がとれない。チームでやる仕事だが、チームプレイも苦手だ。趣味プログラミングの域を出ない。本を見て改造する程度で仕事にはならない。HPは間単に作れる。海外のテンプレートを使う。
3ヶ月間、ケータイショップの代理店で総務事務の仕事に就いていた。仕事をやって帰るだけの生活が空しくなった。仲間ができなかった。パートタイムだが、週5日の仕事だった。時給900円。前の就労移行事業所で期待されていたが、やりたいのは総務事務ではなかった。やりたいことがどんどん出てくる。が実際にできるのは身の丈にあったところだ。健常者の新卒社員が入ってきて仕事がなくなった。存在がいたたまれなく感じた。ここにいてもいいのかな、変に悪く悪く考えてしまった。障害を気にしすぎて若い子に差別されているような気がした。私は実務経験がほとんどない。年下の新卒に世話されるは嫌だった。自分の仕事自体に不満があるというよりも話の輪の中に入れないことが辛かった。KY的な自分は繊細すぎる。気のせいと納得できない。社会経験が少ない。これまででトータル1年未満なのがコンプレックスだ。会話の道筋が分からない。デイケアや入院が長いのでふつうの人と接する機会が少なくて、どう接すればいいか分からない。健常者が障害者とどう接していいかで困るのと同じ。悪気はないと思う。身構えてしまう。キツイ。気持ち悪い。危険。と思われてる不安がある。統合失調症などの病気のイメージは文学、映画で悪いのは知っている。
M:もっと失敗したほうがいいんじゃないか。思い切って失敗したほうがいい。今は準備期間だと考えてどうすればいいか悩むより失敗しても挨拶から始めればいい。恋愛経験と同じで断られて失敗したほうがなにもせずに終わるよりいい。
Y:通所施設は恋愛禁止だ。事務所と家の往復だ。スタッフからは、ねぎらいの言葉はるが、ふつうの人には無視される。コワーキングスペースやゲストハウス、ユースホステルで会話の練習をしたい。
E:大学を卒業して6年間民間で勤めた後、公務員になった。そこでいじめられて鬱になった。公務員をすぐにやめてニュージーランドへ渡った。仕事に悩んでいじめられて対人関係に悩み、自己否定する鬱になった。今は恵まれた職場にいる。
28才で公務員に転職したが、死ぬと思った。法律の知識がなくて困った。新卒で入った民間は良かった。公務員は指導役が年下で弁護士n勉強をしていたそうで法律に詳しかった。バカかって言われた。
M:私も公務員的な職場だが、私の職場はぬるま湯すぎて腹が立つ。
E:公務員になってからのほうが忙しかった。法律知識がなくて「なんでおまえみたいな奴が受かったか?」と言われた。もともと民間でも周りのサポートがあってやってこれていた。9ヶ月で公務員を退職してワーキングホリデーでNZに渡った。
? 今の会社は9年目。技術翻訳の仕事で得意を仕事にできた。辛いときもあるが向いている思っている。自分のペースでできる。PCのプログラミング言語も特に要求されない。
? 一昨年、鬱が再発して一人住まいだったが、なんとか病院にたどり着いた。町内会で順番に組長が回ってきた。昔から長が苦手だった。姉が名古屋にいるが、電話で助けを求めても助けてくれなかった。飼っていた犬に助けられた。極度の不眠になって辛い時期があった。死にたいと思っていた。アダルトチルドレンの自助会にも参加した。自助会でよく話題になるA型がよく分からない。そうした点で理解に限界がある。鬱病であることを最初は隠していたが同僚に話したら、派遣面談で会社側にばれていることを知った。それでも首にはならなかった。契約更新もできるし実際には無期雇用に近い。
5)休憩
6)語る会(後半)
H:週3回の一日7.5時間の勤務をしている。仕事はややこしいが人間関係は優しくてありがたい週3連勤だとキツイ。障害と言ってない。体力がない。春はいいが冬は仕事以外には外に出られない。家で伏せっている。疲れがとれない。自分をほめてあげて!と言われる。学生時代から不登校だった。民間療法や抗うつ剤などいろいろ試した。だいぶ楽になった。
M:体力がないのはクスリが強すぎるせいではないか?クスリは病気や体を抑え込む傾向があるで疲れやすくなる。自分もクスリを飲み忘れると身体が軽くなる。クスリのせいで仕事中も眠くなったりもする。
H:確かに眠くなったり口の乾きがある。体も重たい。
人間関係はいいが配慮はない。3連勤も春なら大丈夫。冬は鬱になる。調子がいいと週5で働きたいと思う。しかし気力が落ちてくると配慮がほしくなる。季節性の鬱だ。学生時代から季節性の鬱だった。大学時代にボランティアを経験して、そこでそのまま働きませんか?と声をかけてもらい働き出した。しかし職場が遠くて電車が苦手なので二時間半かけて運転して通勤した。勤務は5時間程度のパートだった。フルタイムにする元気はなかった。名古屋は車がこわい。通勤だけで疲れた。三車線が怖い。
? 双極性障害で手帳を取れると知った。手帳を取った当初は障害者枠もA型事業所も知らなかった。地域活動センターへ週3日通った。市役所で手続きとった。手帳が届いた時は「ああ、障害者になったんだ」といおもった。もともと浮き沈みはあったが、普通じゃなくて障害者になったと思った。マイナスイメージはなかったが、ハァーって感じた。
A型事業所では内職をやっていた。プラスチックを切ったり加工したり箱詰めしていた。雇用者がころころと言うことが変わった。お金目当て感が出てきた。。半年でA型事業所は辞めた。A型は「今日、調子が悪い」と簡単にいえるのが良かった。「雨だから調子悪い」とかもいえた。
転職は2ヶ月ぐらいかかった。ハローワークで探したりもしたが最後は新聞広告で決めた。障害者枠とクローズで両方探したが、障害者枠は週5が多くて週3,4日の仕事はなかった。週30時間働かないといけないという制約がある。障害者枠の仕事も何社か落ちた。それでクローズで探して週20時間を選んだ。クローズで困ることもあったが、いまは3ヶ月ぐらい続いている。
I:双極性感情障害は1型と2型がある。1型が大きなエピソードがあって入院もする。2型は一見鬱だが、抗うつ剤で効果が出ない。躁にあがることはない。
私は1型で、躁鬱の鬱の時は死にたいと思う。よく寝てよく食べる。躁の時は多動、多弁になる。私は食べ物の味が変わってきて金属や砂のような味に感じるとかなりハイになっていると自覚する。食べなくても大丈夫なぐらいハイになる。このごろ学習して入院がすくなくなっている。周りが気づく。2型とはクスリの種類が違う。1型の人は入院が頻繁になってしまう人もいる。周期は2-3年。毎月の周期の人もいる。
B:週2日に仕事が減っている。給料はあるが、仕事に行ってないと抑うつ状態になる。死にたいと考えてしまう。自分を責める。なぜあんなことを言ってしまったんだろう、と気に病む。
発端は、新人が入ったことだ。ちゃらい感じの身体障害者が「あの子、なんの病気?」と聞いてきた。普通なら「本人に聞いて」とかいって逃げるのに、私は正直に「こころの病」といった。それを本人が耳にして態度が悪くなった。本人に「あなたの性格は難しいね。私は戸惑ってます。」と言ってしまった。すぐに本人が所長に言いつけに行ってミーティングがあった。それ以来職場に来ていない。普通の人なら言わないことを言ってしまい、「それはあなたが悪い」と言われた。もっと対人スキルを勉強したい。所長曰く「精神障害者同士を隣同士にしたのが良くなかった。反省している。二年半様子を見てきて大丈夫だと、甘く見ていた。こちらも悪かったと思ってる。」
普通なら「こころの病」とは言わない。年齢についても勝手に言ってしまったが、普通は言わない。本人は気にしていた。凹んでいる。孤独になると自分を責めてしまう。
8)最後に一言ずつ
M:新しい職場で半年過ぎた。職場で焼き肉を食べにいく。
I:毎月通っているがいろんな話が聞けてよかった。
Y:雇もれびは2年半前に来て以来だが良くなった。開放感がある。
B:今日は以前に比べて興味をもって聞くように心がけてた。聞くことができるようになったと思う。
E:今日は初めて参加したがところどころ分からなかった。みなさん元気に見える。それが無理解かもしれない。
H:初めてきたが、来て良かった。クスリのことも主治医と相談したい。
K:いろんな話が聞けてよかった。
G:初めて見学した。職場でのいづらさ聞けた。なにが障害になっているか今日だけでなくこれからも現状を聞きたい。どういう風に考えているのか、どういうところに苦労しているのかがわかるのでお互いに分からない点をメディアとして伝えたい。身体の病気でも就労に対して無理解や偏見がある。理解が得られず辞めていく、そして働けないということから、声を上げて言うことで差別なく配慮されれば、もっと言う人が増える。職場の実際をこれからも取材したい。
S:今日はありがとうございます。次回は4月9日第二土曜日で2時から語る会。4時半からワークショップも開きます。貴重なお話をありがとうございます。